クラシック音楽講座 シューマン
2009年 02月 10日
先週の土曜日。クラシック音楽講座にでかけた。シューマンだった。
講座三回目の一番印象的だったことは、人生を俯瞰してみることだった。
作曲家とわず画家、作家それぞれ後世にその名前をはせているひとの共通点は、人々がその人とはどんな人だったかということを俯瞰できるほどの自叙伝なり資料が残っていることだと思う。一方一般人のわれらにはそういうものが死んでから残されるというよりは処分されたり、残るのはお墓くらいなのだろうか・・・
その人の人生を俯瞰したときにその人がどんな想いだったのかが想像できる。
どういう生い立ちでどういう死に方をするかだけをみても何かを感じることができると思う。
シューマンは精神病で・・という話だったけれど、器用すぎるやつだったんじゃないかな。
器用貧乏っていうことばを聞いて、それが私もあてはまる気がしていた。
特に私の特技が魔法使いのねずみのように個性的な人々をひっぱっていくこと。
なぜできるかというとすべての人の持っているエレメンツが自分にも少しずつあるので、その人のどの個性をのばしてあげればいいかがよくわかるのです。
私やたぶんシューマンは、little bit of everything。ちょっとずつすべてを持っているタイプの人間なので、自分がいったいどんな人間かを振り返ると残っているものが少なく感じたりして分裂ぎみになりやすい。
なにをやっても中の上以上に入るタイプの人間にもう少しコメントを聞いてみたいところである。
そういう人にはそれなりのまた悩みがあるはずだと・・・。
シューマンののびやかではちみつがのびるようなピアノの旋律にはびっくりした。
あれはバイオリンのような感覚である。
よくわからないという感想をのべた人がいたが、私もその感覚よくわかる。
りっぱなコメントだなぁと感じている。
クラシック音楽講座三回目にして結構人の意見を聴けるようになったのではないかと自分を発見している。
ある意味私は義務的にこの講座に出席しているのだが、自分に課しているポリシーというのがあってもいいだろと時には思う。
少々体調が悪かったのだが、いつも出席するとあ~よかったと思えるから。
まだまだじっと15分間音楽を聴くのは苦手のようだが…
今年の目標は、自己の軸を作ることと傾聴だから仕方ない。
講座三回目の一番印象的だったことは、人生を俯瞰してみることだった。
作曲家とわず画家、作家それぞれ後世にその名前をはせているひとの共通点は、人々がその人とはどんな人だったかということを俯瞰できるほどの自叙伝なり資料が残っていることだと思う。一方一般人のわれらにはそういうものが死んでから残されるというよりは処分されたり、残るのはお墓くらいなのだろうか・・・
その人の人生を俯瞰したときにその人がどんな想いだったのかが想像できる。
どういう生い立ちでどういう死に方をするかだけをみても何かを感じることができると思う。
シューマンは精神病で・・という話だったけれど、器用すぎるやつだったんじゃないかな。
器用貧乏っていうことばを聞いて、それが私もあてはまる気がしていた。
特に私の特技が魔法使いのねずみのように個性的な人々をひっぱっていくこと。
なぜできるかというとすべての人の持っているエレメンツが自分にも少しずつあるので、その人のどの個性をのばしてあげればいいかがよくわかるのです。
私やたぶんシューマンは、little bit of everything。ちょっとずつすべてを持っているタイプの人間なので、自分がいったいどんな人間かを振り返ると残っているものが少なく感じたりして分裂ぎみになりやすい。
なにをやっても中の上以上に入るタイプの人間にもう少しコメントを聞いてみたいところである。
そういう人にはそれなりのまた悩みがあるはずだと・・・。
シューマンののびやかではちみつがのびるようなピアノの旋律にはびっくりした。
あれはバイオリンのような感覚である。
よくわからないという感想をのべた人がいたが、私もその感覚よくわかる。
りっぱなコメントだなぁと感じている。
クラシック音楽講座三回目にして結構人の意見を聴けるようになったのではないかと自分を発見している。
ある意味私は義務的にこの講座に出席しているのだが、自分に課しているポリシーというのがあってもいいだろと時には思う。
少々体調が悪かったのだが、いつも出席するとあ~よかったと思えるから。
まだまだじっと15分間音楽を聴くのは苦手のようだが…
今年の目標は、自己の軸を作ることと傾聴だから仕方ない。
by kevala
| 2009-02-10 12:39
| できごと